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その夜、村の宿。

食事を終え、小さな机を挟み二人は向かい合って座っている。

机の上では一本の蝋燭が揺れていた。

「それで?」

コーデリアが身を乗り出す。

「話してくれるんだよね?」

「うん」

「魔王ゼルディオンのこと」

「そうね」

マデリンは少し考えるように目を伏せた。

何から話せばいいのだろう。

あまりにも昔のことだ。

人間にとってなら、遥かな過去。

歴史の中の出来事。

けれどマデリンにとっては――。

今でも思い出すことのできる、自分自身の記憶だった。

「あれは百年……」

そこでマデリンは首を傾げる。

「いや、百五十年くらい昔の話だけど……」

「百年と百五十年を間違えるの?」

「それくらい経つと、あまり変わらないから」

「変わるよ! 五十年も違うよ!」

「そう?」

「人間なら人生一つ分くらい違うから!」

「人間って大変ね」

「今そういう話じゃない!」

マデリンは小さく笑った。

そして、話し始めた。

「百五十年くらい前、私には一緒に旅をしていた仲間がいたの」

「仲間?」

「三人」

マデリンは一人ずつ、その名を口にする。

「剣士のケヴィン」

陽気で、よく喋り、いつも笑っていた青年。

少し無鉄砲で、困っている人を見つければ、後先を考えずに首を突っ込む。

「槍の騎士、ガレス」

大柄で豪快、でも堅物。

何をするにも規律、計画、準備。

いつもケヴィンを叱っていた。

しかし誰より頼りになり、危険なときには必ず仲間の前に立った。

「そして僧侶のエレノア」

聡明で冷静。

治癒術だけでなく、古代の歴史や魔物にも詳しかった。

ケヴィンとガレスが喧嘩を始めれば、大抵は彼女が止めていた。

「それと私」

「四人で旅してたんだ」

「うん」

マデリンは遠い目をした。

懐かしい。

本当に。

遥か昔のことなのに、思い出そうとすれば、いくらでも思い出せる。

「当時も今と同じように、魔物の動きが活発になっていた」

コーデリアの表情が変わる。

「……今と?」

「ええ」

最初は小さな異変だった。

街道で魔物を見ることが増えた。

森の魔物が村の近くへ出るようになった。

やがて村が襲われ。

旅人が消え。

北へ行けば行くほど、その被害は大きくなっていった。

「私たちは原因を調べるため、北へ向かった」

「それで……」

「そこでゼルディオンの存在を知った」

マデリンの声が少し低くなる。

「魔王ゼルディオン」

強大な魔力を持つ魔族。

魔物を集め、操り、北方を足掛かりに、さらに南へ勢力を広げようとしていた存在。

「もし放っておいたら、大勢の人が死んでいたでしょうね」

「それで四人で戦ったの?」

「うん」

「……四人で?」

「四人で」

「マデリンたち、無茶しすぎじゃない?」

「ケヴィンが行くって言うから」

「そのケヴィンって人、相当無茶する人だったんじゃ……」

「そうね」

マデリンは珍しく、はっきり笑った。

「でも、最後には勝った」

ケヴィンの剣。

ガレスの槍。

エレノアの術。

そしてマデリンの魔法。

四人は死力を尽くして戦った。

そして、魔王ゼルディオンを倒した。

部屋が静かになった。

コーデリアはしばらく何も言えなかった。

やがて口を開く。

「……待って」

「なに?」

「私、それに似た話を聞いたことがある」

「似た話?」

「うん」

コーデリアは記憶を探る。

「確か、百五十年くらい前。一時期、北の方を中心に魔物がものすごく増えたことがあったって」

古い記録にも残っている。

魔物によっていくつもの村が被害を受けた。

交易路が使えなくなった。

国も対応に苦慮した。

ところが。

「ある時期から、急に魔物の活動が収まった」

「そうね」

「でも……」

コーデリアはマデリンを見る。

「魔王ゼルディオンなんて名前、聞いたことがない」

「知らなくて当然よ」

「どうして?」

「ゼルディオンの存在は、公には伏せられたから」

コーデリアが眉をひそめる。

「伏せられた?」

「人々に余計な恐怖を与えないためにね」

当時、ゼルディオンの存在を知っていた者は、ごく一部だった。

「だから、公式には『北方で発生した魔物の異常繁殖が収束した』程度にされたの」

「じゃあ……」

コーデリアは驚いたように言う。

「マデリンたちが魔王を倒したことも?」

「ほとんど知られてない」

「ええ!?」

コーデリアは思わず立ち上がった。

「だって、魔王を倒したんでしょう!?」

「倒したね」

「世界を救ったようなものじゃない!」

「そうかもしれない」

「そうかもしれないって!」

コーデリアには信じられなかった。

そんな大きな功績を挙げたのなら。

英雄として称えられて当然ではないのか。

「ケヴィンって人は?そのあと、英雄になったんじゃないの?」

「ならなかったよ」

「騎士に取り立てられたり?」

「されてない」

「貴族になったとか?」

「ないね」

「国から褒賞をもらったり?」

「多少はもらったんじゃない?」

「多少!?」

マデリンは思い出す。

魔王を倒したあと、ケヴィンは、それまでと同じように冒険者を続けた。

困っている村があると聞けば行き、魔物退治の依頼があれば剣を持ち、報酬をもらって酒を飲む。

どこにでもいる――とは言えないが、少なくとも本人は、どこまでも一介の冒険者であり続けた。

「結局、ケヴィンは死ぬまで一介の冒険者だったわ」

「……魔王を倒した人が?」

「うん」

マデリンは懐かしそうに微笑む。

「まあ……」

蝋燭の炎が揺れる。

「その方が、あの人らしくて良かったかもね」

その表情を見て、コーデリアは、何となく分かった。

マデリンにとってケヴィンという人が、どれほど大切な仲間だったのか。

「……ケヴィンって、どんな人だったの?」

「陽気で、うるさくて、お節介で、無鉄砲」

「なんか悪口ばっかりじゃない?」

「考えるより先に動くし、困ってる人を見ると放っておけないし、自分が怪我することを全然考えない」

「…………」

コーデリアが微妙な顔になる。

マデリンはそんなコーデリアを見る。

「なに?」

「いや……」

なんだか聞いていると、少しだけ自分にも心当たりがある。

「あと、よく勝手に依頼を引き受けた」

「…………」

「仲間に相談する前に」

「…………」

「『困ってるんだから仕方ないだろ』って」

「……私と似てる?」

コーデリア自身が言った。

マデリンは答えなかった。

ただ少し笑った。

「だから、私と一緒に来てくれたの?」

「それだけじゃないよ」

マデリンは静かに言う。

「でも、あなたを見ていると、ときどき思い出す」

「ケヴィンを?」

「うん」

コーデリアは少し照れたように頭を掻いた。

「なんか……そんなすごい人と似てるって言われると困るな」

「本人は自分をすごいとは思ってなかったけどね」

マデリンは微笑んだ。

そして表情を戻す。

「でも」

「うん」

「今日見つけた邪神の像」

コーデリアも真剣になる。

「あれはゼルディオンの城にあったものと同じだった」

「やっぱり……今の魔物の異変と関係ある?」

「まだ分からない」

マデリンは首を振る。

「ゼルディオンは確かに倒した。私が見ていたから、それは間違いない」

「じゃあ復活したとか?」

「可能性は否定できない」

魔王が何らかの術を残していたのか。

誰かがゼルディオンを復活させようとしているのか。

それとも、ゼルディオンとはまったく別の者が、かつての魔王の遺産を利用しているのか。

「だから北へ行く」

マデリンは言った。

「確かめないと」

「うん」

コーデリアは力強く頷く。

「一緒に確かめよう」

マデリンは、その言葉に少しだけ目を細めた。

百五十年前にも、似たようなことを言った人がいた。

けれど、今、目の前にいるのはケヴィンではない。

コーデリアだ。

新しい旅の仲間。

「よろしくね、コーデリア」

「うん!」

そこで、コーデリアは、ふと思い出した。

「ところでさ」

「うん」

「前から聞こうと思ってたんだけど……」

「なに?」

コーデリアはじっとマデリンを見る。

小柄。

金髪。

ピンクのフード。

どう見ても少女である。

だが、百五十年前の出来事を、まるで昨日のことのように語っている。

「マデリンって……何年生きてるの?」

「私?」

「うん」

マデリンは少し考えた。

「う~ん」

そして、何でもないことのように答えた。

「千年くらいかな」

「…………」

沈黙。

「え?」

「だから、千年くらい」

「…………」

コーデリアの目が大きくなる。

「ええええええええええええっ!?」

宿中に響き渡るような声だった。

「声、大きいよ」

「千年!?」

「たぶん」

「たぶん!?」

「正確には数えてないから」

「そこじゃないよ!」

コーデリアはマデリンを指さす。

「千年って! 千年だよ!?」

「そうね」

「そんなに生きてるの!?」

「エルフだから」

「エルフだからで済むの!?」

エルフは長命。

そんな話はコーデリアも聞いたことがある。

百年、二百年、あるいはもっと。

見た目では年齢を判断できないとも言われている。

だが、そんなものは半分、おとぎ話だと思っていた。

目の前の少女が、自分よりも年下にすら見える少女が、千年近く生きているなど――。

「エルフってすごい……」

「そう?」

「だって千歳でしょう!?」

「千歳とは言ってない。千年くらい」

「同じだよ!」

マデリンは少し不満そうな顔をする。

そんな彼女を見ながら、コーデリアは改めて思った。

エルフという種族は、本当に人間とは違う。

百五十年前の出来事を知っている。

歴史から消えた魔王を知っている。

千年という時間を生きている。

そして、そんな途方もない時間を生きてきた少女が、今、自分の目の前にいる。

一緒に旅をしている。

「……なんか不思議だなあ」

「何が?」

「ううん」

コーデリアは笑った。

「これからもよろしく、マデリン」

「急にどうしたの?」

「いいじゃない」

「変なの」

「千年生きてる人に変って言われたくない!」

「だから千年くらい」

「同じ!」

 

そして翌朝、二人は再び北へ向けて旅立つ。

昨日、マデリンから百五十年前の話を聞いた。

剣士ケヴィン。

槍の騎士ガレス。

僧侶エレノア。

そして、魔王ゼルディオン。

さらに――、マデリンが、およそ千年もの時を生きていること。

コーデリアは驚いた。

それはもう、ものすごく驚いた。

宿中に響き渡るような声を出してしまったほどだ。

けれど、一晩経ってみれば、不思議とマデリンを見る目が変わったわけではなかった。

目の前を歩いているのは。

少し無口で。

魔法がものすごく得意で。

薬草にも詳しくて。

そして朝に弱い。

いつものマデリンだ。

むしろ、これまでより少しだけ、マデリンとの距離が近くなったような気がしていた。

今まで知らなかったことを話してくれた。

昔の仲間のこと。

魔王との戦いのこと。

そして、自分がどれほど長く生きてきたのかということまで。

それがコーデリアには、少し嬉しかった。

街道を歩きながら、コーデリアは横にいるマデリンを見る。

「ねえ」

「なに?」

「千年生きてるって、どんな感じ?」

「どんな感じ?」

マデリンが首を傾げる。

「うん」

「う~ん……」

マデリンは少し考えた。

「私にとっては、ごく自然なことだから」

「そうなの?」

「うん」

「どんな感じって言われても、よく分からない」

「そっか」

考えてみれば当然なのかもしれない。

人間だって。

「二十年生きるってどんな感じ?」

と聞かれても、困るだろう。

ただ生まれて。

生きて。

気がつけば、その時間が経っていた。

マデリンにとって、それが千年だった。

それだけなのだ。

「でもさ」

コーデリアが続ける。

「千年って、ものすごく長いよね」

「人間から見ればね」

「私なんて何回生まれて何回死んでるんだろ」

「何回も」

「雑!」

マデリンが少し笑う。

コーデリアも笑った。

けれど、そのあとコーデリアはふと思った。

千年。

マデリンはその間にどれだけの人と出会ったのだろう。

ケヴィン。

ガレス。

エレノア。

きっと三人だけではない。

友人。

旅の仲間。

村で知り合った人。

一緒に戦った人。

大切だった人。

そして、そのほとんどは、もうこの世にはいないのではないか。

(……たくさんの出会いと別れがあったんじゃないかな)

コーデリアは隣を歩くマデリンを見る。

マデリンはいつもと変わらない顔で歩いている。

昨夜、ケヴィンのことを話したとき、とても懐かしそうな顔をしていた。

(寂しくないのかな)

そう思った。

聞こうかとも思った。

でも、やめた。

今、それを聞く必要はないような気がした。

いつか、マデリンが自分から話したくなったときに聞けばいい。

だから、代わりにコーデリアは別のことを言った。

「じゃあさ」

「なに?」

「千年も生きてるから、朝起きられないんだね」

「…………」

マデリンが止まった。

コーデリアも止まる。

「なに?」

「……それは関係ない」

「本当に?」

「関係ない」

マデリンは少しだけ顔を逸らす。

その仕草を見て。

コーデリアはニヤッと笑った。

「でも今日も起きなかったよね?」

「起きようとはした」

「してないよ」

「した」

「私が朝の鍛錬を全部終わらせても寝てたじゃない」

毎朝、コーデリアは日の出とともに起きる。

軽く身体を動かし、素振り、足運び、剣の型。

旅の途中でも鍛錬を欠かさない。

そして、その鍛錬をすべて終え宿へ戻る。

「マデリン、朝だよ」

返事なし。

「起きて」

返事なし。

布団を揺する。

「あと少し……」

「少しってどれくらい?」

「一時間……」

「長い!」

大抵、そんなやり取りになる。

「昨日なんて三回起こしたんだから」

「昨日は眠かったから」

「毎日眠いじゃない」

「朝は眠いものよ」

「みんなそうだけど起きるの!」

「コーデリアは朝が早すぎる」

「普通だよ!」

「太陽が出たばかりだった」

「それを朝って言うの!」

マデリンは少しむっとした顔をする。

「エルフは朝が苦手なの」

「本当?」

「…………」

「今考えたでしょう?」

「考えてない」

「絶対考えた!」

コーデリアは笑う。

「千年分の寝不足が溜まってるとか」

「コーデリア」

「はい」

「うるさい」

そう言いながら、マデリンの頬が、ほんの少し赤くなっている。

「……もしかして恥ずかしいの?」

「別に」

「千年生きてる大魔法使いなのに朝起きられないのが?」

「大魔法使いなんて言ってない」

「でも魔王を倒したんでしょう?」

「四人でね」

「千年生きた魔王討伐経験者が、毎朝私に起こされてるんだ」

「…………」

マデリンはぷいと前を向いた。

「先に行く」

「あ、待ってよ!」

マデリンが少し早足になる。

コーデリアは笑いながら追いかけた。

昨日、マデリンの過去を知った。

千年という途方もない時間を生きてきたことを知った。

コーデリアには想像もできない人生だ。

きっと、喜びも、悲しみも、出会いも、別れも、自分とは比べものにならないほど経験しているのだろう。

でも、それでも、今、目の前にいるマデリンは、朝に弱くて、少し照れ屋で、からかわれると意外とムキになる、そういう少女だった。

コーデリアは思う。

(千年生きてても、マデリンはマデリンなんだな)

「ねえ、マデリン!」

「なに?」

「明日も起こしてあげるね!」

「いらない」

「じゃあ自分で起きられる?」

「…………」

「ほら!」

「……起こして」

「素直でよろしい!」

「偉そう」

二人はそんなことを言い合いながら、北へ続く街道を歩いていった。

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