若き女剣士コーデリアは、舞い込んだ魔物退治の依頼を受け旅をしているところだった。
その途中、小さな村に立ち寄った。
「お腹すいたなあ……」
朝から歩きっぱなしである。
ちょうど目に入った食堂から、肉の焼けるいい匂いが漂ってきた。
「よし、ここにしよう」
コーデリアは迷わず店に入った。
昼時ということもあって、店内はそこそこ賑わっていた。
旅人らしい男たち、仕事の合間らしい村人たち、家族連れ。
コーデリアは空いている席に腰掛ける。
「すみません。今日のおすすめ、一つください」
「あいよ!」
店主の威勢のいい声が返ってきた。
ほどなく運ばれてきた料理を、コーデリアは嬉しそうに食べ始める。
「うん、おいしい!」
腹が減っていたこともあって、いつも以上においしく感じる。
ところが。
「おい! 酒が足りねえぞ!」
突然、大きな声が響いた。
コーデリアが振り返る。
三人ほどの男たちが、酒瓶を片手に騒いでいた。
どうやらかなり酔っているらしい。
「もっと持ってこい!」
「お客さん、もうそのくらいに……」
「うるせえ!」
店員が止めようとするが、男はテーブルを強く叩いた。
ガタン!
近くにいた客が驚いて振り返る。
「なんだよ! 文句あんのか!」
男が睨みつけると、客たちは慌てて目を逸らした。
コーデリアは眉をひそめた。
せっかくおいしい料理を食べていたのに‥‥‥
「おい、もっと酒持ってこいって言ってんだろ!」
男が店員の腕を乱暴につかんだ。
コーデリアは立ち上がった。
「ちょっと!」
「ああ?」
男たちが振り返る。
コーデリアは腰に手を当てて言った。
「他の人が迷惑でしょう! 騒ぐなら外でやりなさいよ!」
店内が静まり返った。
男たちは一瞬ぽかんとしたあと、顔を見合わせた。
そして笑い出す。
「ははは! なんだ、この姉ちゃん!」
「姉ちゃん、何か文句があるのか!」
「あるから言ってるの!」
コーデリアは一歩も引かない。
「みんな食事してるのよ。それに店員さんまで困らせて。いい加減にしなさい!」
男の顔から笑みが消えた。
「……調子に乗るなよ」
「調子に乗ってるのはそっちでしょ」
「この……!」
男がコーデリアに殴りかかった。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
だが――。
ひょい。
コーデリアは首を傾けるような軽い動きで拳をかわした。
「なっ!?」
勢い余って男がよろめく。
コーデリアはため息をついた 。
「もう……仕方ないなあ」
腰の剣には手をかけない。
こんな相手に剣を使うつもりなどなかった。
拳を握り、構える。
「ちょっと痛い目に遭ってもらうからね!」
「ふざけやがって!」
残りの男たちも立ち上がった。
コーデリアは冷静に相手を見る。
三人。
酔っている。
動きも大したことはない。
これなら問題ない。
そう思った、そのときだった。
「おい!」
男の一人が近くにいた少女の腕をつかんだ。
「え?」
コーデリアが動きを止める。
その少女は、小柄だった。
長い金髪。
そして頭には、目立つピンク色のフードを被っている。
いつからそこにいたのか。
少女は男に腕をつかまれているというのに、悲鳴を上げるでもなく、妙に落ち着いていた。
男は少女を自分の前に引き寄せる。
「姉ちゃん、おとなしくしないと、こいつがどうなっても知らないぞ!」
「ちょっと! その子は関係ないでしょう!」
「だったら動くな!」
コーデリアは歯を食いしばった。
卑怯な。
だが、人質を取られた以上、下手には動けない。
コーデリアはゆっくり構えを解いた。
「分かった。何もしないから、その子を放して」
「最初からそうしてりゃいいんだよ!」
男の一人が拳を鳴らしながら近づいてくる。
どうやら殴られるらしい。
(仕方ないな……)
コーデリアは覚悟を決めた。
(痛い目には遭うけど、我慢するか)
一発や二発なら耐えられる。
相手が自分を殴るこ とに夢中になれば、必ず隙ができる。
その瞬間に少女を助ける。
あとは三人まとめて叩きのめせばいい。
そう考えていた。
ところが。
「……ん?」
少女を捕まえていた男の様子がおかしい。
「おい、どうし――」
ぐらり。
男の身体が傾いた。
そのまま床に倒れる。
「ぐぅ……」
寝息。
「……は?」
コーデリアは目を丸くした。
「お、おい! 何寝てんだ!」
もう一人の男が怒鳴る。
だが。
「ふわぁ……なんだ……急に……」
その男も大きなあくびをした。
「おい、しっかり……しろ……」
三人目も目をこする。
そして
ドサッ。
バタッ。
「ぐぅ……」
「すぅ……」
三人とも眠ってしまった。
食堂は静寂に包まれた。
「…………」
コーデリアは呆然としている。
店員も。
店主も。
客たちも。
誰も何が起こったのか分からない。
ただ一人、ピンクのフードを被った少女だけが平然としていた。
少女は自分を捕まえていた男の腕をどける。
そして何事もなかったかのように服を整えた。
コーデリアが驚いている間に、少女は店の出口へ向かいそのまま食堂を出ていく。
我に返ったコーデリアは大急ぎで勘定を済ませ慌てて追いかけた。
「ちょっと待って!」
少女は振り返らない。
ピンクのフードを被った小さな背中を追い、ようやくコーデリアは隣に並んだ。
「ねえ!」
「なに?」
少女が足を止め、ようやくコーデリアを見る 。
「あのさ、今、あなたヒュプノの魔法を使ったんじゃない?」
ヒュプノ。
相手を眠りに落とす魔法である。
「うん、そうだけど」
少女は何でもないことのように答えた。
「やっぱり!」
コーデリアは少女の顔をまじまじと見る。
食堂で男たちが突然眠ってしまったとき、コーデリアには少女が呪文を唱えたようには見えなかった。
そもそも、魔法を使うような仕草さえなかった。
つまり――。
「呪文も唱えずに使ったの?」
「うん」
「無詠唱……」
コーデリアも魔法について詳しいわけではない。
だが、呪文を唱えずに魔法を発動させることが簡単ではないことくらいは知っている。
ましてや、三人の男をほとんど同時に眠らせたのだ。
(この子、見た目以上にすごい魔法使いなんじゃ……)
そこで、コーデリアはもう一つのことに気がついた。
ピンク色のフードの隙間、金色の髪の向こうに見える耳。
人間のものとは明らかに形が違う。
細く、長く、先端が尖っている。
「その耳……」
「耳?」
「もしかして……エルフなの?」
「うん」
あっさり。
「…………」
「どうしたの?」
「エルフなのか……」
コーデリアは思わず呟いた。
エルフ。
人間よりはるかに長い時を生き、深い森の奥で暮らし、優れた魔法を操るという種族。
存在そのものは知られている。
だが、人間の町や村に姿を現すことはほとんどない。
そのため、人間にとっては半ば神話や伝説の住人のような存在だった 。
コーデリアは、生まれてから一度も見たことがない。
「私、エルフって初めて見た……」
「そう?」
少女は不思議そうな顔をする。
「いや、まあ、あなたにとっては普通だよね……」
コーデリアは苦笑する。
そのときだった。
ぐぅぅぅ。
コーデリアのお腹が鳴った。
「…………」
「…………」
二人の間に沈黙が流れる。
少女がコーデリアのお腹を見る。
「聞こえた?」
「うん」
「……忘れて」
「無理」
「そこは忘れてよ!」
そういえば、食堂では騒ぎのせいで食事を途中までしか食べられなかった。
そのまま少女を追いかけてきたのである。
「せっかくおいしかったのになあ……」
「私も途中だった」
「え?」
「ご飯」
「あ、あなたも?」
少女が頷く。
どうやら二人揃って食いっぱぐれてしまったらしい。
「じゃあ、何か食べようよ。私がおごるから」
「いいの?」
「いいよ。さっき巻き込んじゃったし」
「巻き込まれたのは、あなたのほうだと思うけど」
「……まあ、細かいことはいいじゃない!」
村の通りには、小さな屋台のような店がいくつか並んでいた。
二人はその一軒で、焼いた肉と野菜をパンに挟んだ簡単な料理を買った。
店の横には粗末な木の机と椅子が置かれている。
二人は向かい合わせに座った。
「いただきます!」
コーデリアは早速かぶりつく。
「おいしい!」
少女も小さな口で黙々と食べている。
しばらくして、コーデリアが尋ねた。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったね。私はコーデリア」
「マデリン」
「マデリン?」
「うん」
「よろしく、マデリン!」
「よろしく」
マデリンは淡々としている。
だが、別にコーデリアを嫌がっている様子でもない。
「マデリンは旅をしてるの?」
「してないよ」
「じゃあ、この村に住んでるの?」
「住んでない」
「……じゃあ、どこに住んでるの?」
マデリンは村の向こうに広がる森を指さした。
「あっち」
「森?」
「うん。いつもは森で暮らしてる」
「一人で?」
「うん」
コーデリアは少し驚いた。
「寂しくないの?」
「静かでいいよ」
「そういうものなのかなあ……」
「そういうもの」
少なくともマデリンにとってはそうらしい。
「じゃあ、今日はどうして村に?」
「ちょっと用事」
「へえ……」
だから人間の村にエルフがいたのか。
本当に偶然だったらしい。
マデリンが今度は尋ねる。
「コーデリアは?」
「私?」
「この村の人じゃないでしょう?」
「ああ。私は仕事」
コーデリアは腰に提げた剣を軽く叩いた。
「魔物退治を頼まれたの」
「魔物退治?」
「うん。この村の近くの森に、最近、魔物が出るんだって」
マデリンの表情がわずかに変わった。
「森に?」
「そう。旅人や村の人が襲われてるらしくてさ。それで退治してほしいって依頼されたの」
「どんな魔物?」
コーデリア は依頼主から聞いた特徴を説明する。
かなり大きい。
力も強い。
すでに何人かの旅人や村人が襲われている。
幸い、今のところ命を落とした者はいないというが、このまま放っておけば、いつ犠牲者が出てもおかしくない。
「結構強そうなんだよねえ」
コーデリアは腕を組んだ。
「勝てないとは思わないんだけど……正直、ちょっと苦労しそう」
そう言いながら、コーデリアはちらりとマデリンを見る。
マデリンは黙々と食事を続けている。
コーデリアは思い切って言った。
「マデリン!」
「なに?」
「お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「私の魔物退治、手伝ってくれない?」
マデリンが食べる手を止めた。
「私が?」
「うん」
コーデリアは頷く。
「もちろん危険だから、嫌なら断ってくれていい。でも……」
コーデリアは食堂での出来事を思い出す。
三人の男を一瞬で眠らせた魔法。
しかも無詠唱。
この少女が並の魔法使いでないことは間違いない。
「マデリンが一緒に来てくれたら、すごく助かると思う」
「…………」
マデリンは少し考える。
「その魔物、村の人を襲ってるの?」
「うん」
マデリンはまた少し考えた。
コーデリアは黙って返事を待つ。
やがて。
「分かった」
「え?」
「手伝う」
コーデリアの顔が明るくなる。
「本当!?」
「うん」
「やった!」
コーデリアは思わず立ち上がった。
周りの客が何事かとこちらを見る。
「あ……」
恥ずかしくなって、コーデリアは座り直した。
「ありがとう、マデリン」
「人助けになるなら」
マデリンはそう言って、残っていたパンを一口食べた。
「でも」
「ん?」
「先に食べ終わってから」
「……そうだね」
コーデリアは笑った。
それから二人は食事を続けた。
このときのコーデリアは、まだ知らなかった。
偶然入った食堂で出会った、この小柄なエルフの少女がどれほどの魔法使いなのか。
そしてマデリンもまた知らなかった。
目の前で楽しそうに食事をしている少女剣士と出会ったことが運命だと。
こうして――。
人間の少女剣士コーデリアと、エルフの魔法使いマデリン、二人の最初の冒険が始まろうとしていた。
翌朝。
朝日が昇り始めた頃、コーデリアとマデリンは村を出発した。
目的は、村の近くに現れる魔物の討伐である。
「こっちで合ってる?」
「うん。村の人の話だと、この先」
コーデリアが地図を確認する。
その隣を、ピンクのフードを被ったマデリンが歩いている。
昨日、食堂で偶然出会ったばかりの二人。
それなのに、一緒に魔物退治へ向かっている。
考えてみれば不思議な話だった。
森へ続く道を歩きながら、コーデリアはマデリンに尋ねた。
「ねえ、マデリン」
「なに?」
「昨日、森で暮らしてるって言ってたよね?」
「うん」
「ずっと?」
マデリンは少し考えた。
「ここ百年くらいはずっと」
「……百年?」
コーデリ アが立ち止まった。
マデリンも立ち止まり、振り返る。
「どうしたの?」
「いやいやいや!」
コーデリアは慌ててマデリンに追いついた。
「百年って言った!?」
「言ったよ」
コーデリアはマデリンをまじまじと見る。
どう見ても、自分と同じくらい――いや、むしろ年下にすら見える。
「エルフって、本当に長生きなんだ……」
「人間よりはね」
マデリンにとっては、それだけの話らしい。
「百年間ずっと森で何してたの?」
「普通に暮らしてた」
「普通って?」
「薬草を採ったり、本を読んだり、魔法を研究したり」
「へえ」
「薬も作るよ」
「薬?」
「森で採った薬草で作るの」
マデリンは淡々と話す。
作った薬は、ときどき村へ持っていく。
それを売って金に換え、その金で森では手に入らないものを買う。
食料の一部。
布。
日用品。
本。
そうした最低限のものだけを買い、また森へ帰る。
「それで、またしばらく森で暮らす」
「……それを百年?」
「うん」
コーデリアには想像もつかない。
「退屈じゃない?」
「別に」
「百年だよ?」
「百年だね」
「私は絶対無理だなあ……」
コーデリアは頭の後ろで手を組んだ。
「一週間くらいなら静かな森もいいかもしれないけど、一か月したら誰かと話したくなると思う」
「そうなんだ」
「マデリンは平気なの?」
「平気」
「エルフってみんなそうなのかな……」
「さあ」
マ デリン自身、ほかのエルフのことなど知らないというような口調だった。
(確かに、エルフってあまりいないのだよね。寂しくないのかな)
そんなこと思いながらも、二人は森の奥へと進んでいった。
しばらくして、マデリンが突然立ち止まった。
「いる」
「え?」
コーデリアは腰の剣に手をかける。
「どこ?」
「あっち」
マデリンが木々の向こうを指さした。
コーデリアが目を凝らす。
木々の間で、何か巨大なものが動いていた。
低い唸り声。
地面を踏みしめる重い音。
やがて――それが姿を現した。
「……大きいな」
コーデリアの表情が引き締まる。
四本の太い脚。
獣に似た身体。
だが、普通の獣とは比較にならないほど巨大だ。
背中には硬そうな黒い毛が生え、口からは大きな牙が突き出している。
村人の話で想像していた以上だった。
魔物も二人に気づいた。
「グルルルルル……!」
「来るよ、マデリン!」
「うん」
コーデリアが剣を抜く。
マデリンは、その後ろに立った。
「まず私がやる」
「え?」
マデリンが片手を前に出す。
昨日と同じだった。
呪文を唱える様子はない。
だが――。
次の瞬間。
空気が震えた。
魔力がマデリンの周囲に集まる。
「……!」
コーデリアにも分かった。
昨日のヒュプノとは違う。
明確に敵を攻撃するための魔法。
そして放たれた。
魔力の一撃が森の中を走る。
轟音。
「グオオオオッ !」
魔物が大きく身体を揺らした。
「今」
マデリンが言う。
それだけで十分だった。
「分かった!」
コーデリアが地面を蹴る。
魔法を受け、魔物の意識は完全にマデリンへ向いている。
その死角へコーデリアが飛び込んだ。
「はああっ!」
剣を振るう。
刃が魔物を斬り裂いた。
「グアアアッ!」
魔物が暴れる。
巨大な前脚がコーデリアへ振り下ろされた。
「っと!」
コーデリアは横へ跳んでかわす。
魔物が追おうとする。
だが、その前方から再び魔法が飛んできた。
「グオッ!」
魔物がひるむ。
コーデリアはすぐに理解した。
マデリンが自分のために隙を作っている。
ならば――。
「もう一回!」
コーデリアが踏み込む。
斬撃。
魔物が向きを変える。
今度はコーデリアへ意識を集中させる。
その瞬間、背後からマデリンの魔法。
「グアアアアッ!」
魔物がよろめく。
「そこ!」
コーデリアがさらに斬り込む。
魔法。
剣。
魔法。
剣。
まるで何度も一緒に戦ってきたかのようだった。
コーデリアが前衛となって魔物を引きつける。
マデリンが後方から魔法を放つ。
マデリンの魔法が魔物をひるませれば、コーデリアが一気に距離を詰める。
魔物がコーデリアへ攻撃しようとすれば、マデリンがそれを邪魔する。
言葉を交わす必要すらほとんどなかった。
「マデリン!」
「うん」
それだけ。
マデリンの魔法が炸 裂する。
魔物の体勢が大きく崩れた。
コーデリアには分かった。
ここだ。
「これで――!」
地面を強く蹴る。
「終わりっ!」
剣が閃いた。
魔物が大きく仰け反る。
そして。
ズン――。
巨大な身体が地面へ倒れた。
森に静寂が戻った。
「…………」
コーデリアはしばらく魔物を警戒していた。
やがて剣を下ろす。
「……倒した?」
「倒したね」
マデリンが答える。
コーデリアは大きく息を吐いた。
そして、マデリンを見る。
「すごいじゃない!」
「そう?」
「そうだよ! マデリンがいなかったら、もっと苦労してた!」
実際、一人だったならかなりの長期戦になっていただろう。
「それにさ」
コーデリアは笑った。
「私たち、結構相性いいんじゃない?」
「相性?」
「戦うときの!」
コーデリアは剣を鞘に収める。
「初めて一緒に戦ったのに、なんかすごくやりやすかった」
「……そうだね」
マデリンは小さく答えた。
その声は、ほんの少しだけいつもと違っていた。
だが、コーデリアは気づかなかった。
二人は村へ戻った。
魔物を倒したことを伝えると、村人たちは大喜びだった。
依頼は無事完了。
そして村に帰る。
「じゃあ、私は依頼主に報告に行くよ」
「そう」
「マデリンは森に帰るんだよね?」
「うん」
「そっか」
ほんの少し、コーデリアは寂しそうな顔をした。
だが、すぐに笑う。
「助かった よ。ありがとう」
「どういたしまして」
短い言葉だった。
昨日出会ったばかり。
一緒に食事をして、少し話をして、一度だけ、一緒に魔物と戦った。
それだけの関係なのだから、別れもこんなものなのかもしれない。
「じゃあね、マデリン!」
「うん」
「元気で!」
「コーデリアも」
コーデリアは手を振り、街道を歩いていった。
マデリンは、その背中が見えなくなるまで立っていた。
そして一人、森へ向かう。
いつもの道。
百年以上、何度となく歩いた道。
静かな森。
鳥の声。
木々を揺らす風。
いつもと何も変わらない。
なのに、今日は少しだけ、静かすぎるような気がした。
マデリンは歩きながら、今日の戦いを思い出していた。
魔物へ迷わず飛び込んでいったコーデリア。
自分の魔法を信じるように踏み込み、剣を振るった姿。
そして戦いが終わったあとに見せた、屈託のない笑顔。
(……似ている)
マデリンは思った。
(あの人と)
遠い昔。
百年以上前。
一緒に旅をした人がいた。
一緒に戦った。
一緒に食事をした。
くだらないことで笑った。
何度も危険な目に遭った。
それでも旅を続けた。
そんな仲間がいた。
コーデリアの何が、その人に似ていたのだろう。
顔ではない。
声でもない。
剣の使い方でもない。
それでも――どこか似ていた。
マデリンは立ち止まり、振り返った。
当然、そこにコーデリアはいない。
森の向 こう。
村よりさらに遠くへ続く街道を、今頃歩いているはずだ。
(でも――)
マデリンは再び前を向いた。
(もう会うこともないだろう……)
人間の旅人との偶然の出会い。
一日だけの同行、そういうものだ。
マデリンは長く生きてきた。
出会いというものが、必ずしも続くものではないことくらい知っている。
「…………」
なのに、ほんの少しだけ残念に思った。
やがて森の奥に、小さな家が見えてきた。
百年以上暮らしてきた、マデリンの家。
昨日までなら、何とも思わなかったはずの場所。
静かで、穏やかで誰にも邪魔されない暮らし。
「ただいま」
誰もいない家に、マデリンはそう言った。
もちろん、返事はなかった。
いつものことだった。
マデリンは扉を閉める。
こうして、人間の少女剣士コーデリアと、エルフの魔法使いマデリンの短い冒険は終わった。
コーデリアは次の旅へ。
マデリンは百年以上続けてきた静かな暮らしへ。
二人とも、このときは思っていた。
もう会うことはないだろう、と。
――だが、それが二人の最後の別れにならないことを、このときの二人はまだ知らなかった。